この世はすべて自分の映し鏡

日々思ったこと、過去の出来事等書いてます。

人として問われた瞬間

息子と車で市内のお店に行く途中、
裏通り的な道の道端に、年配の男性が座っているのが見えたので、
轢かないように気をつけて運転しなくちゃ!
という意識で運転していた。
男性の前を通り過ぎ、数メートル走ったところで息子から、
「なんで助けないの。戻りなよ」って言われて、
バックミラーでよく見ると、
まだその男性は座り込んだままであった。
ただ座っているというよりも、
その座り方が尻もちをついたような形で、
脇にカバンがおいてあるというよりは、
尻もち?をついたはずみでカバンが吹っ飛んでいたようでもあった。
そのままおきあがれないのかな?というような気もしてきた。
そこでバックしては戻れないし、対向車も来たので、
そのまま運転しながら、でも気になりつつ、
対向車がどうするかを見ていたら、
対向車も男性の前を素通りしていってしまった。
言い訳になってしまうけれど、
民家が立ち並ぶ道路の前に倒れていたので、
その民家の人かもしれないし、すぐ近くの民家の誰かが、気がつくかもしれない。
私が助けなくても...という心理が働いてしまった。
そして、そもそも「助けるのが怖いっ」て思う自分もいた。
でも、声ぐらいかけてもよかったんじゃないか?
そもそも助けは必要としていなかったかもしれないけど、
声をかければわかることだったんじゃないか?
数分で物凄い心の葛藤がある私と違い、
普通は息子のように、助けるっていう判断が普通なんじゃないか。

助けるって何ですか?困っているように見えたから行動しただけですよ、
それが普通のことですよ、的な。
何を大げさに考えているのか、考える事なんてない、当たり前だから、的な。

私みたいな大人が沢山いて、こんな集合意識の塊が、
今の日本に漂う雰囲気の一部を作っていて、
見て見ぬ振りをして、弱肉強食の世界を作っているんじゃないか、
純粋に子どもたちは、素直に愛の行動をとっているんだから、
本当に見習わなくてはならないんだよね。
そしてずっと後悔しつつ、目的地まで悶々と運転し、
「母は人として駄目だったね」
とまた言い訳をしてしまった。
「そう思うなら、戻ればいいじゃん。」
と再度言われる。
はい、そのとおりでございます...。
どんな状況になろうと、困っている人に声をかけて、
自分が出来ることをやってあげれば良かったんだし、
そんな私をみた息子は、
「やっぱ大人って口ばっかじゃん」と思ったんじゃないか、とか、
そもそも子供の前だから助けるとかするわけじゃないし等など...。

結果、結局は私が助けようとしたくなかったんだな。という事がわかった。

人として終わっていると我ながら思った...。

反省。

f:id:whitemirror:20210512172621p:plain