幼いときから見慣れた外の世界。
これは本当に
この現実の世界なんだろうか?
同じ世界をみているのに、
人によって、
歪んでいたりする。
見ているものが違う。
見え方が違う。
果たして本当に
この世界は現実なのだろうか。
縁台で寝転がって空を見上げていると、
本当にそう感じることがある。
果たして、この見えている空は本物なのだろうかと...。
外に広がる田んぼや遠くの山々は、
物心ついた時から見ていた
景色と変わらない。
物事は絶えず動いていく、
形の変わる雲のようなのに、
そこから見える景色は、
時が止まっているようで、
懐かしくもあり、
うれしくもあり、
時々悲しい。
ずっと同じようなこの風景は、
映画のセットのようで、
まるでここは、
リアルな仮想現実の中にいるんじゃないか...ってな事を
ふと思ったりする😅
常に変化していく中で、
実際は同じところはない。
草花達も生まれ変わっているし、
でも、代わり映えのしない(ように見える)
この風景は、
本当に
現実の世界なんだろうか?
と時々思ってしまうことがある😆
現実は心の投影という。
自分の心が変わると、
周りが変わった。という事がある。
どこにいっても、人間関係で悩んでいたのに、
どこにいっても、周りが理解者ばかりになった。とか。
「あ~この私だから、周りがこうなんだね。」ってことなんだよね。
悲しい現実を。
リアルに認める。
そしてまさに今、実験中。
現実が変わった時、実験成功。
だって、「人のせい」にして、
多かれ少なかれ人は生きている。
私も「人のせい」にしていたし、よくされた。
仕事とか責任が追求される時、
都合が悪くなる時、
犯人探しする時は、
「誰かのせい」にすると、
楽になる。
一人を悪者にして、自分は助かる。
多数決の力の世界そのもの。
小さな弱い一人が、
正しいことを言おうが、
行おうが、
力でねじ伏せれば良い世界。
一人の自己犠牲で、
その他大勢の人が助かる世界。
う~ん。でも、なんか、おかしい。
それが出来なかった人はどうなるの?
正しいことをして潰された、
自己犠牲になった人はどうするの?
自分や家族がそうならないように、
「人のせいに」してきたのに、
ひ孫が突然、
潰される側に!
そうなる可能性もあるはず。
「なんか、おかしいな?」って思いながらも生きていくの?
「自分には関係ない」って思って生きていくの?
それを目撃した=見たって事は、
自分も当事者で関係者。
「自分のこと」として考えないといけない。
そういう意識が大事。
そうやって一人ひとりが変わっていけば、
世界は変わっていくはず。
だって数十年前は、同性愛者は迫害対象だった。
でも、今はまだまだ差別があるにせよ
表向きはだいぶ違ってきた。
そういう意味では、
世界の常識は変わりつつあるし、
変わっていくもの。
自分は同性愛者じゃないし、
周りにもそんな人いないから
関係ないし
それに
関わると面倒に巻き込まれる...
ではない。
自分の問題に直面した時は、
もちろんだが、
どんな問題も見聞きしたなら、
「人のせいにせず、自分のこと。」って考える。
そういう事が大事なんだと思う。
難しいけど、、やっていく。