この世はすべて自分の映し鏡

日々思ったこと、過去の出来事等書いてます。

私の見ている世界

世界は残酷だ!
と思う。

 

私が見てる世界では。

 

一部の若者の間で

「反出生主義」が流行っているらしい。

 

 

社会は破綻してしまったのではないか?

無差別事件も増えた。

 

こんな社会を

これからの

子ども達が

生きることは

可愛そうだ

なんてことさえ、おもったりする。


戦争も起こってしまった。
戦争を止めたいと思って、祈ったけれど...。

 

まだ終結はしていない。


職場等でも

自分(弱者)の意見は聞いてもらないし、

思ったことを口に出せない。

 

自分が、正しいと思ったこと

を行動できていない。

 

大きなこと(世界情勢)から

小さな事(自分の周り)まで、

物事は全て

フラクタル構造なのだから。

自分の心が

周りが

平和じゃなければ、

世界だって

平和じゃない。

 

 

今の社会が

息苦しいなら、

世界情勢だって

息苦しい。

 

今まで、

私は

そうやって

そういう所ばっかりに

フォーカスして、

生きてきた。

 

私の見ている世界は

だから

残酷だった。

 

でも、

見ている世界を

少し変えるだけで、

世界が変わる。

 

見方を変えてみよう。

 

今までのやり方が悪いなら、

変えよう。

変化しよう。

 

職場の雰囲気が悪いなら、

自分が中心となって

笑わせてみよう。

 

今までは出来なくても

やれなかったけど、

今からやってみよう。

 

この戦争だって、

何が正義なのか、

真実はなんなのか?

どこを見るか、

どこを信じるか、

 

見方によって変わってくる現実。

一人ひとりの中の

悪魔と向き合ってみる。

 

敵はどこにもいないのだから。

 

だって、正しさとはなんだろう?


戦争中は人を殺せば英雄だしね。

 

戦争に正義はないんだ。

あるのは

 

それを正当化してしまう

 

自分の中の悪魔(心・思い・思考)なんだ。

 

でも、最悪な出来事、

戦争などがおこっても、

 

百一匹の猿現象のように、

皆に一気に

気づきが起こって、

素晴らしい世界ができる

きっかけとなるかも知れない。

 

その為の出来事だったかもしれない。

 

戦争は最悪な事だったけれど、

色々なことがわかった。

明るみになった。

そこは解体され、破壊されて、

みんなに望まれる認識が生まれたりする。

そしてそれが常識となり、

生きやすい世界が生まれ....等など。

 

素晴らしい世界が訪れるかは、

一人ひとりの

見る世界。

どこを見るのか。

 

だって、

私の見ているこの世界は

「素晴らしい!」

って言える

凄い変革期にうまれたのだから。