この世はすべて自分の映し鏡

日々思ったこと、過去の出来事等書いてます。

正しさとは?

みな

多かれ少なかれ

自分の「正しさ」で生きている。

その「正しさ」が

今までの教育や教えや

『ルール』の中で作られた、

自分の物差しの

とても小さな

自分の世界であったとしても、


そんな事も気が付かず、


それが、


それこそが


その自分の考え・行いこそ

「正しい」

と思って生きている。


社会に出ると、

その自分の

「正しい」

と思っている価値感が、


揺らぐ。


ゆらぎ、

そして混乱する。

 

それぞれの価値観、

正義感の押し付けで、

相手が(自分が)息もつけなくなるくらい

時には追い詰めて(追い詰められて)


その自分の正しさと同調する人達とつるみ


「そ~だよね。私達こそ正しいよね」って、


仲間を作って、

違う人を排除したり、責め立てる。

 

「私達こそ正義だからね」と。

 

「正しいことやっている」と。

 

「なんで、わかってくれないの」と。

 

「こっちに合わせてよ」と。

 

何が本当に正しいことなのか

わからないまま、


その時の序列関係や力関係で、

曖昧のまま、

心は納得しないまま

 

従わされる。

 

疑いもなく、

「そうなんだ~」なら、

問題ない。

 

でも、時には、屈辱を伴うこともある。


「それは、あなたの正しさであって、私はそうは思わない」
と。


反対に、時には自分が、

相手を力でいい任せ、

従わさせること

をしている事もあるのだ。

 

そして

本当の正しさがわからないまま、

人生なんてこんなもんだと、

諦める。


自分が正しいのか

相手が正しいのか、

 

どっちも正しくないのか....。

 

とてつもないインフルエンサーになるか、

権力を持つしかないのだろうか?


そんなことは夢でしか無いと、

あきらめ、人生を終えるのだ。

人類の歴史もそんなもんだな。と。

 

その時の、時代が、背景が、

それが正しいと思って何も疑わなかった。

 

「そんなはずじゃないだろう」

と声をあげることさえ出来なかった、


だって知らなかった。

 

心に違和感があっても、

麻痺させる。

 

生きるために。

 

普通でいるために。

 

 

正しさとは


その時々(時代等)で変わるもの。
ジャッジ出来ないもの。
人が口出しできないもの
ゆるがないもの
誰もが納得するもの
正しさなんて無いもの
常にここにあるもの

認めあっていくもの
より良くなっていくもの
押し付けるものではない。
愛溢れるもの
成長できるもの
絶対ではないもの
穢されないもの
利用されるもの
作り変えて行けるもの
ルールのようなもの

 

「真理に基づいて判断されるもの」

のはずだ。

 

今生きている社会の
証拠やルールに基づいて、

 

誰がみても

「正しい・正義」と思うことを

やっても、

ある人は、

それをしたことによって、

喜ばれる結果になるかもしれないし、

ある人はずっと恨まれる結果になるかもしれない。


やってみないとわからないものなのだ。

 

行動によって、

「正しさ」も

変わるものなのだ。

 

でもそれは、

個々一人一人

異なるものでもある。


でも、

全ての人が喜ばれる結果となる事が、

 

本当に良い事。


「正しいこと」になるのではないのかな?

 

そうすると、

物凄く生きやすくなる。


善悪もなくなる。

ジャッジしなくて良い。

敵・味方もいなくなる。

 

自分(皆)に優しくなれる。