この世はすべて自分の映し鏡

日々思ったこと、過去の出来事等書いてます。

愛とは

愛とは...


・比較しない
・恐れないこと
・取引しないこと

 

 

 

 

 

これを知ったときは、

衝撃的だった。

そして

意味がわからなかった。

 

この3つの愛の定義は、

自分が生きる上で

「愛を見失った時」に、


気づかせてくれるものになり、

実際に、使えるものである。

 

 

愛ってものすごく抽象的で、


漠然として、

 

感覚的なものだと思っていた。

 

素晴らしいが、手に負えない、理解できないような感覚....。

 

もちろん、人によって感じ方も違うのだけど、

この

「比較しない・恐れないこと・取引しないこと」を意識すると、

 

自分が愛を見失っている状態を確認できるものとなる。

 

もし、人と比べてしまっていたら、

そこに「愛はない」ってこと。

 

何かをやろうとした時に、

心が「恐れ」でいっぱいなら

「恐怖心」でやろうとしていることなら

それは愛がないってこと。

 

そしたら、

「あ~私、愛、見失っているな」って

気づくことが出来るから。

 

「愛って何?」と、漠然としていたら、
混乱して、

暴走していってしまうから。

 

 

愛し、愛されってのも実際、

よくわからなかった。

 

もちろん家族からは

愛されているのだが、

わがままを全て聞いてくれたら、

「愛されてる。」

と実感するようなそんな子供だった。と思う。

 

人を試すようなところを持っていた。

特に、 、母の愛を試すため、

母がいかに怒ることをやろう、とか

そういう事をしていた可愛くない子だった。

そんなことしても、私を愛してくれるのか、みたいな。

 

だから、自分と性格がそっくりな子は

絶対イヤだから、

子供もほしくないって思っていた。

結婚して妊娠がわかった時、

「嬉しい」より

「不安で怖かった」「私の手に負えない」って思っていた。

 

学生時代、

母を友達のお母さんと常に比べていた。

 

自分が愛がない姿だったのに、

母は当時一生懸命、

子育てしてくれていた。

 

 

宿題も自分の事なのに、

宿題やるかわりに、習い事休む事を要求したりとか

そんなことばっかりやって、

まさにこの愛の定義3つを

ガン無視して、

愛を見失っていた

子供時代だった😥😥😥

 

物凄く、ひねくれた子供だった😅

 

元旦那さんのことも、

結局試して、

出来ないことにフォーカスして、

常に人と比較していた。

 

いつしか、

比較せずには見られなくなっていた。

そこには、愛の姿がなかった。

 

愛がないから、相手からも愛を与えられないわけだ。

ずっと愛がない人生だと思っていたが、

そりゃそうだな😂

自業自得(笑)

 

でも、

これからは、愛がわかる。

 

だから、愛あふれる人になる。

 

愛がない姿だなぁと気がついたら、

治せる。

 

 

だって、愛がわかったから。