この世はすべて自分の映し鏡

日々思ったこと、過去の出来事等書いてます。

ブタゴリラ

以前キテレツ大百科というアニメを息子と一緒にみていたら、
「ねぇ~ブタゴリラってあだ名ひどくない?」ってつぶやいた。
ブタゴリラはアニメに出てくる登場人物の一人だけど、
「確かに、そうだよね(笑)」
自分が子供頃にこのアニメを見ていた時には、
そんな事思いもしなかったけどね😅...。

ブタゴリラ、彼は本名にコンプレックスがあり、
自分で皆に、ブタゴリラと呼ばせているのだ。

名前といえば、私も自分の名前がしっくりこない。
笑われるような変な名前とかではないし、むしろ漢字はお気に入りで、
男女ともに使えてかっこいい名前だよね、等と言ってくれている人も多かった。
高校まではそういうことを思ったことは無かったんだけど、
短大~本当につい最近まで、顔と名前があってないので呼べないとか、
良い呼び名が見つからないから、名字で呼ぶわとか、
色々言われたことがあって、しらずしらずの内にそう感じてしまっている
からかも知れない。
自分と名前はあってないんだ。と。
人にどう言われようと自分が自分を信頼していれば関係なく、堂々とできる。
でも、今の私は出来ないから、
だから自己紹介などで名前を言うのが苦手。
なんだか自分ではないみたいな気がしてしまう。
よく、名前と全然関係ないあだ名で認知されている人がいて、
自己紹介でその事を話して、そんな風になっちゃったらいいんだろうけど、
そういうこともまだできていない。
それこそ「ブタゴリラ」です。みたいに(笑)

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そんなエピソード的なものもないし...。
実際あだ名も無い。

昔、息子は名前と顔が本当に一致してるね。よくぞこの名前つけたね。って、
あるママさんに言われたことがあった😂
息子の友だちも自分のまわりを見ても、すぐに下の名前で呼ばれる人、
呼ばれない人って確かにいる。
その差って何なのか?
単純にキャラというか感覚的な感じだけのような気もする。

名は体を表すというけれど、それぞれ、皆なんだかんだ名前とその人がしっくり
来ている気がする。
同じ名前の人でも人物は違うのに、それでもやっぱりその人はそれぞれ
しっくり来ているのだ。
一体私は、この歳になっても自分を自分で生きられていない、名前負けした?
人生なんだろうか?
私の名前、珍しくはないけど、多くはない。
物心ついた時から今まで、
同じ名前の人に出会ったのは1人だけだった。
それがここ1年で、2人に出会った。
何かが変わる予感(笑)

もうそろそろ名前の呪縛から解けなさい!って。

もう数ヶ月したら、立派に自己紹介している気がする😁
そして、名前と自分がしっくり来ている気がする😉